福住造園 株式会社

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造園屋が使う気勢とは

偉そうに「気勢」なんて、語っていいのだろうか。まず「気勢」をどうしたいのだろう。気勢を見たいのか、気勢を読みたいのか、気勢を計りたいのか、なんとも表現しづらい。

それは、目に映らず見えないものであるからか。であれば、気勢を見る、読む、計る、そのためには感じるしかないのか。

そして、感じとるものであれば個々の感性と言う事になるのか。感性であれば個人個人か違う解釈で当たり前なわけで、違うから感性と言うのか。感性だから「気勢」は、数値化が出来ないのか。数値化ができないから、寸法の入った物差しは作れないのであろう。

物差しが無いのだから見る人によって気勢の捉え方は違ってくるし、日によっても違ってくる。まして、自然素材の樹木や石を組合せるのだから、「気勢」の捉え方は無限にある。無限にあるから二度と同じ気勢を持った庭は造れないし、造る必要もないと私は思う。

ここで、ふと気付いた、具体的に「気勢」を表現し説明するのは、私にとって超難解な話題だと言うことを。

頭の中で描いている気勢の概念みたいなものを図解で説明できれば良いのだが、明確に伝わるような絵が浮かんでこない。「んーこの企画ボツかな」と、書きながら感じてしまったが、「普段の思いを書けばいいんじゃない」と、自分に都合良く解釈して話を進めることにした。

庭全体の中で樹木の配置を考えるときや、庭石を組むときに必要な気勢の考え方などの図解入り気勢の説明は、書籍やネット検索でたくさん見つかるので、そちらをご覧頂きたい。

そんな訳で、「造園屋が使う気勢とは」ではなく、「私、個人が使う気勢とは」に、話題を変えてしまいます。

「気勢を見るとか、計る」って、どお言うことでしょう。それは気勢を感じて「物」の勢いを比べること。そして「物」とは、草花だったり植木だったり、煉瓦の敷物だったり、パーゴラだったり、更には住宅やカーポート、そして隣家まで。即ち、庭を造る時に目に見えている(視線に入ってくる)全ての形有るものが対象だと考えます。

この、形有るものは全て気勢を発していることになります。その気勢の重さ、向き、強さを何とかして計測したい訳なんですが、決まりが無い、基準が無い、なんも無いのです。

なんも無いと説明に困りますから、個人的な気勢感と言うか、感じるままにと言うか、少し強引に説明します。

例えば家具の配置を考えるとき「ここが一番しっくりとくる」そんな場所を探している最中って、無意識に気勢を使って計っているのです。

「こっちよりもこっちの方が何となくバランスが良い」そう感じながら配置を決めるはずです。この「バランスが良い」が、「気勢が良い」と、同じ考え方です。

だから「気勢で見るのは、造園屋だけの独特な方法なの?」なんてことはないのです。それっぽく「石組の配置は気勢を見て、どうのこうの・・」なんて言ってるだけです。

しかし、「バランス」と「気勢」が、全く同じ意味なのか?。

確かに「バランス」より「気勢」の方が、奥が深いように感じますよね。「その違いだけ?」となると微妙ですが、うまく違いを説明できません。

この説明できない「気勢」と言う言葉を何故か使いたい訳で、何故なら「バランス」では、どうにもしっくりこないし、奥が浅い感じだからです。

気勢の概念で物を見ると何故か便利な訳です。それは、形のある物から感じられる、存在感、重量感、奥行き感、大きさ、向き、強さ、勢い、などなど全て「気勢」の一言で済わけなんです。

ご自分の庭を今年こそは何とかしたい「だけど庭の全体像がつかめない」、「なんとも想像がつかない」、「バランスの取り方が判らない」などなど。

こんなときに「バランスの思考」では解決しない訳ですから、この「ちょっとそれっぽい気勢の思考」を意識すると見えてくる物があるんです。全体に馴染みが良く、しっくりとして、違和感がない、なぜか落ち着く、安定感を感じる、こんな庭を造るために「気勢の思考」があるんです。

一流の造園家は、この気勢に対する感覚が、ずば抜けて研ぎ澄まされ、そして極めたのでしょうね。

一方、私も極めるべく日々「気勢の思考を使って庭を何とかしたい」と、小さな努力をしているのですが、年齢と共に見えていたはずの気勢が、見えなくなってきているので、ここは備忘録も兼ねて話を進めます。

庭を構成する全ての物に気勢がある。背景にある景色にも建物にも当然、気勢がある。視界に入る物全てに気勢がある。この概念で見ると、それぞれの適材適所が決まってくる。

自然樹形の雑木と石組みを合わせると、どちらとも気勢を譲り合う微妙なバランスが出てくる。

線の細い樹木は幹の本数を見せることで大きな石組みと同格な気勢を持つ存在になる。

自然形である石や樹木の気勢の組合せは無限大にある。だから組合せに正解もなければ、間違いも無い。

石や樹木が落とす陰にも気勢がある。その時、どうしても石の気勢が強くなる。それは、揺れないからなのだろうか。

手前は強く感じ、奥は弱く感じる。それは、物を大きさで見ているからか。気勢で見ると奥の方が強く感じる。と言うより感じさせなければ、目線は奥に向かない、奥に向かなければ広さは感じない。

四方を囲まれた坪庭が広く感じることがある。それは四方に目線を向けないように計算された気勢なのだろう。

どんなに広い敷地の庭でも必ず終点がある。しかし、どんなに狭い庭でも終点が無い場所がある。それは、頭上の空間、空だろう。その空に向かって気勢を見せれば、広大な坪庭が造れるかも知れない。

目線の先に隣家の壁が入ってくる。なんだか鬱陶しい。気勢を上手く操って、それをなんとか緩和したい。

単純に壁を隠すだけは、庭が閉鎖的に見える。気勢を左右に向けるべきか、上下に向けるべきか、悩む場面が多い。目線を意図した場所に向けるのも気勢の見せ方で何とかなるのか。

僅か数センチ、いや数ミリの塵(ちり)にも気勢がある。

おっと専門用語だ、なるべく使わないようにする。だけど「塵は塵なので」少し説明する。

造園用語で塵(ちり)とは、決して「ちりとり」の「ちり」ではなく、僅かな高さや出幅の事である。例えば、飛び石を据えるとき、地面より少しだけ高くなるように埋める。この時、飛び石の側面が僅かに地表に出る。この高さや幅が「塵」である。

話を戻す。

素材を替えるつど、塵の付いた線を見せる。小さな塵が持つ気勢は以外にも大きな違いを生む。素材が持つ色の気勢を塵の大きさで緩和する。

住宅の布基礎も塵と言えば塵だ、今時の住宅の基礎の塵は、どうも広すぎる。私には何故か不安定に見える。

和風建築が落ち着いて見えるのは、基礎の塵が目立ちすぎず、いい感じの気勢を出しているからか。

和風屋根の破風(はふ)の出方も塵と言えば塵だろう、この塵は少し広めだと、いい感じの気勢が放たれる。

やはり和風建築は奥が深いなーと感じてしまう。

建物を含めた庭全体を眺めていると、そこから気勢が外に向かって広がって見える時や、逆に気勢が内に向いて見えることがある。

更に、外に向かう場合「広がる」と言うより、気勢が外に逃げて見える時もある。

気勢が内に向く場合でも、縮んでいく様に感じることもある。内に向いて見える場合、気勢が人を迎えているように感じられれば正解だろう。縮んで見える時は失敗だろう。

ずいぶんと大きな木を植えた、だけどなんとも感じない、住宅との気勢が釣り合っているからか。

植木が住宅より勝っては違和感がでてくる。この場合「勝る」とは、寸法的な大きさのことではない気がする。

木には裏表がある。本当だろうか。一点からしか見なければ確かに表があるようだ、だけど気勢は表を向かないのは何故だろう。

木の表を決めて植え込んだ、そのとき気勢は僅かに左右どちらかに向いている。

木の表を探すより、気勢の向きを探す方が、なんともしっくりくる、そして楽だ。

気勢は、あらゆる方向に向かって見える。しかし、見る人に向かって一直線で来る気勢は、まだ見たことがない。

庭を構成する全ての素材の気勢は、個々で見るとまったくのバラバラだ。そのバラバラな気勢が何となく補完し合い、庭全体の気勢を創っているようだ。

シンメトリーの庭にも不思議な気勢がある。中央と左右の気勢、中央と前後の気勢、その組合せも無限大で難しい。そして、ごまかしが効かないようだ。

まったく気勢を感じない庭がある。んー外溝は立派だ。素材か、植木か、配置か、??とんちんかんな組合せだ。庭じゃなくて畑なんだと納得。んー立派な外溝がもったいない。

庭を見る立ち位置が数センチ変わると気勢が変化して見える。だから気勢が説明できないのか。立ち位置を数カ所に絞り込んで気勢を見るのが正解か。

作る側と施主では、この立ち位置が違う。違えば見える気勢は違ってくるのだが、そのへんを考慮して配置を考えるのが私達の仕事か。

作る側と施主とで、同じ気勢を見ることはあり得ない。しかし、気勢の概念は共有したい。そうでなければ、施主の満足は無いはずだ。

施主との対話で「気勢」の言葉を使って説明することは無い。

それは専門用語と、捉えられるからだ。専門用語を羅列して説明している自分自身が、相手を言いくるめている感覚になる。そして充分な説明を果たした気になってしまう。だから、意識して使わないようにしている。

「バランス」とか「見た目が・・」とか「目線が・・」とかに、言い換えている。この時、頭の中では「気勢」の代用語をグルグル探すことになって、思考回路が大渋滞を起こす。

早く一般的な言葉として使われれば、対話の理解度が増すと思うのだが。

一般的な言葉で「気勢」に変わる言葉があれば、それが一番良いのだが、流行語大賞にでもならないと無理なんだろう。

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